人生は観自在
天声開説 般若天行

 人間がこの世に生まれてなすべきことはなにでしょうか。
 それは、「人間に成る」ということです。
 私たちは、「苦しみもがく存在」としてこの世に送り出されたのではありません。「喜びの表現体」としてこの世に生を受けたのが、人間というものなのです。そして、「喜びの表現体」こそが、「人間本来の姿」なのです。
 人間は、生命のもつ「喜び」を十全に表現するものとして、生命というものを授かったのです。
大自然の「観(おも)い」である「生命本来の表現」としての人生を送るために、あなたは生まれ、あなたの隣人も生まれてきたのです。
 しかし、アタマにとらわれた瞬間から、人間は、「心からの喜び」を感じられなくなってしまいます。生きていても、心の底からの「喜び」があふれてこない、「喜び」が源(わ)き出てこない、ただつまらないだけの人生。暗く、繁栄とはほど遠い生活でしかなくなってしまうのです。
「喜びの表現体」としての自分を取り戻すには、アタマを取り、「空(くう)」にならなければなりません。目に見えない「人間本来の姿」を自分の体の奥底から源(わ)かすには、あなた自身が「空」にならなければならないのです。
 ご利益を求めたら、その瞬間からあなたは「空」ではありません。アタマによって見返りを期待し、我執があなたの体いっぱいに満ちてしまう。先に待っているのは、「のに」の世界だけです。
「これほど熱心にお経を唱えたのに……」、「こんなにたくさん写経したのに……」という恨みの世界、憎悪の世界です。これでは、「心経」の世界である智恵どころか、人間本来の姿である「喜びの表現体」にはとうてい至れません。
「行」とは見返りを期待しての行為ではありません。「ただ行(や)る」ことが本当の「行」なのです。
 何回も行る、ひたすら行(や)る、ただ繰り返し行(や)る、なにも期待せず行(や)る…。
 繰り返し唱える、ひたすら繰り返し唱える……。
 繰り返し書き写す、ひたすら繰り返し書き写す……。
 それが大自然のリズムに則った行為なのです。アタマを取るというのは、そうした繰り返しのなかではじめてあなたのものとなるのです。
 そのとき、あなたは大自然そのものとなります。大自然のリズムそのものとなった「喜び」、理屈を超えた「喜び」があなたの体の奥底から源(わ)きあがってくるのです。
 その源(わ)きあがってきた「喜び」が、大自然の、天の「観(おも)い」なのです。
 しかし、源(わ)きあがってきた「喜び」は、「行」のおかげではありません。
 あなた自身に備わっていたものが、源(わ)いてきただけにすぎません。奇跡でも、不思議でもないのです。
 そう成れたとき、あなたは「般若天行(はんにゃてんぎょう)」を具現しています。「観自在(かんじざい)」の世界を自分のものとしているのです。
「なにものにもとらわれず、なに一つ無理のない人間本来のあるべき姿」を自分のものとしているのです。自由自在に「観(おも)い」を源(わ)かすことのできる人間に成っているのです。「最高の喜び」を持って生きる人間と成っているのです。
 では、「般若天行」の解説に入ることといたします。

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